『太平洋の嵐』シリーズは日本が経験した最大の戦争である太平洋戦争を舞台とした戦史シミュレーションゲームで、長年にわたり多くの戦史ファンに好評を博している人気シリーズです。
今作の『太平洋の嵐~史上最大の激戦 ノルマンディー攻防戦!~』では第二次世界大戦のもう一つの舞台であるヨーロッパに戦場を移し、担当陣営も日本からドイツになりました。
舞台がヨーロッパに移ったことにより、戦いの中心も海戦から陸戦へとシフト。陸上兵器で師団を編制し、敵師団との戦闘や根拠地の占領を行います。強力な兵器で師団を編制し、敵の根拠地を占領していきましょう。
ドイツ、イタリアを中心とする枢軸国とイギリス、ソ連、アメリカを中心とする連合国との戦いをドイツ軍を率いて勝ち抜き、ヨーロッパの覇権を掴みましょう。
収録シナリオは6つ。いずれも北アフリカ戦線とヨーロッパ戦線の勝敗に大きく影響を与えたターニングポイントとなるシナリオです。 シナリオを進めていく中で史上最大の市街地戦となった『スターリングラードの戦い』など戦史上有名な作戦や戦いが発生! さらにPS4/PSVita版では新たに東部戦線の「ツィタデレ作戦」と西部戦線の「ラインの守り作戦」が加わり、より一層のボリューム感となります。
当時の世界情勢を忠実に再現したシナリオにより、臨場感あるプレイが楽しめます。
1914年に第一次世界大戦の敗戦国となったドイツは、その時開かれたパリ講和会議において莫大な賠償金や軍備の縮小、そして海外領土の放棄が課せられるヴェルサイユ条約の締結を求められた。
その後も世界恐慌の煽りをうけ、失業者が溢れる事態となったドイツ国内では、体制の打破を掲げるヒトラー率いる政党「国家社会主義ドイツ労働者党」通称ナチスが国民の支持を得て勢力を急速に拡大させた。
1932年にヒトラーは首相へ就任。1934年には大統領の職務を首相へ移して完全に国内の権力を掌握。翌年、ヒトラーは再軍備宣言を行い、ドイツは独裁国家へと変貌を遂げた。 1937年には同じく国際連盟より脱退した日本と独裁政権のイタリアとの距離を縮め、日独伊防共協定を結んだ。
その後は周辺諸国へドイツ人居住地域の併合を求め、オーストリアやチェコなどを手に入れた。さらにドイツはポーランドへ先の敗戦で失った西プロイセン「ポーランド回廊」を渡すよう求め対立し、ポーランドとの不可侵条約を破棄。その後、相容れないと思われたソビエトと不可侵条約を締結した。これに危機を感じたイギリスはポーランドと相互協力援助条約を結び対抗した。
1939年9月1日、友好訪問と称しグダンスク湾に停泊していたドイツの戦艦から、まるでこれから始まる激戦の号砲が如く、ポーランド軍駐屯地へ激しい艦砲射撃と爆撃が行われ、ポーランドの各都市へドイツ軍が侵攻を開始した。 この行動に対し、イギリスがポーランドとの条約によりドイツに対して宣戦布告。
ここにヨーロッパ、そして太平洋へと広がった人類史上最大の戦争が今まさに始まろうとしていた。
第二次世界大戦の始まりから、その結末までを遊べる一大キャンペーンです。
作戦開始日 | 1939年9月1日 |
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大勝利条件 | 1944年6月22日までに212以上の根拠地を所有する。 |
勝利条件 | 最終日終了までに212以上の根拠地を所有する。 |
敗北条件 | 所有根拠地数が10以下となる。 |
第一次世界大戦以降、イタリアではムッソリーニ率いるファシスト党がローマ進軍により権力を得ていた。 当初イタリアは、オーストリア併合などの問題でドイツとは対立関係にあったが、1935年イタリア領ソマリランドに隣接するエチオピア帝国を攻撃し第二次エチオピア戦争を開始したため、国際連盟を脱退し、同じく脱退したドイツと急接近することになった。
1940年5月10日、ドイツが電撃戦にてフランスへ侵攻、6月10日にパリが占領されフランスの敗北が決定的となると、英仏両国に対して宣戦布告した。
ムッソリーニはイタリア軍上層部が補給の不安で反対しているのにも関わらず、1940年9月イタリア領リビアからエジプトへの侵攻を指示。 兵員8万人からなるイタリア第10軍は、イギリス軍が撤退したこともあり、順調に進軍して100km先のシディ・バラニを占領した。
しかし、1940年12月9日にイギリス軍のオコンナー将軍の指揮下で、大規模な反攻作戦であるコンパス作戦が開始。シディ・バニラ、バルディア、トブルクと次々に進軍を許し、イタリア軍は窮地に立たされた。 1941年2月12日、イタリアの要請を受け、ドイツは支援を開始した。
イタリアの救援のため、トリポリの空港に1人の男が降り立った。後に砂漠の狐と呼ばれる、エルヴィン・ロンメル大将である。
ドイツアフリカ軍団とイタリアの活躍に主眼を置いたキャンペーンです。
作戦開始日 | 1941年2月12日 |
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大勝利条件 | 1942年6月30日までに北アフリカの根拠地を全て占領する。 |
勝利条件 | 1942年10月30日までに北アフリカの根拠地を全て占領する。 |
敗北条件 | 所有根拠地数が79以下になる。 |
1939年8月23日、東ヨーロッパにおける独ソの勢力範囲の画定を約束した秘密議定書を含んだ独ソ不可侵条約を結んだ、ドイツのヒトラーとソ連のスターリンの二人の独裁者は互いの利益の為に邁進していった。
9月1日にまずはドイツ軍がポーランド侵攻を開始して、9月3日にはイギリスとフランスがドイツに宣戦布告して第二次大戦の幕が開いた。
9月17日には、東からソ連がポーランドに侵攻して、ポーランドは秘密議定書に基づいて独ソ両国に分割統治される事となった。
さらにソ連は、バルト三国とフィンランドに対して領土拡大を図る為に11月30日にはフィンランドに侵攻して領土を割譲させ、1940年6月には40万人以上の大軍にて侵攻しバルト三国を併合した。 一方のドイツ軍も1940年5月にはベネルクス三国を6月にはフランスを占領した。
ルーマニアの石油資源を欲したヒトラーは1941年6月22日、独ソ不可侵条約を破棄して、北はフィンランドから南は黒海に至る線から300万人もの大軍にてソ連に侵攻を開始するバルバロッサ作戦が発動された。
ドイツとソ連の国境を巡る大規模な戦いとなった東部戦線での戦いを描くキャンペーンです。
作戦開始日 | 1941年2月12日 |
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大勝利条件 | 1941年12月31日までにソ連軍の根拠地を全て占領する。 |
勝利条件 | 1944年6月22日までにソ連軍の根拠地を全て占領する。 |
敗北条件 | 所有根拠地数が80以下になる。 |
1943年11月28日、米英ソの首脳陣が初めて一堂に会したテヘラン会談において、アメリカ大統領ルーズベルト、イギリス首相チャーチル、ソ連議長スターリンが協議して1944年春にはヨーロッパに第二戦線を構築する事で合意した。 それを受けて連合軍総司令部は作戦準備に入り、ヨーロッパ方面最高司令官にアイゼンハワー、地上軍総指揮官にモンゴメリーを任命した。
上陸地点は、イギリスの本土基地から連合軍戦闘機の航続距離内と制限され、パ・ド・カレーとノルマンディーに絞り込まれた。 パ・ド・カレーは、イギリス本土からも近く上陸地点としては最適であったが、その分防御が強力であった為にノルマンディーが選ばれる事になった。
一方ドイツ側の状況は、1943年11月には、ヒトラーは連合軍のフランス侵攻を警戒しており、西部方面軍司令官ルントシュテットの他に、フランス北部の防御を担当する司令官としてロンメルが配置されたが、両司令官の防御思想は逆で、ロンメルは敵が上陸する瞬間に攻撃を加えようとしたことに対して、ルントシュテットは、敵を内陸に呼び込んで殲滅することを主張して対立していた。
連合軍は、ノルマンディー上陸を悟られないようにする為に、欺瞞作戦を展開した。
ロンメルは、連合軍は必ずノルマンディーに上陸すると確信して、全力でノルマンディー沿岸の防衛陣地の構築と600万個にも及ぶ地雷の敷設を行なっていた。
1944年6月6日、フランスノルマンディーを舞台とした、史上最大の作戦が開始されようとしていた。
連合軍の上陸が成功するのか、ドイツ軍が水際で食い止めることができるのか、ドイツの命運を握る史上最大の上陸作戦となった『ノルマンディー上陸作戦』を描くキャンペーンシナリオです。
作戦開始日 | 1944年6月6日 |
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大勝利条件 | 1945年12月31日までに110の根拠地を所有している。 |
勝利条件 | 1945年1月1日までに96の根拠地を所有している。 |
敗北条件 | 所有根拠地数が24以下になる。 |
1941年に開始されたドイツ軍3軍集団を用いたソ連奇襲攻撃、『バルバロッサ作戦』はドイツの優勢で進んでいたが、 イタリアの苦戦で順調に進軍を続ける中央軍集団より主力が支援に回された。南方集団はソ連の抵抗に遭うも盛り返し、キエフとハリコフを占領した。 しかし、中央軍集団のこの支援によるモスクワ攻略に1ヶ月の遅れが発生。予想よりも早い冬将軍の訪れと相まって、 補給線が伸びきったドイツ軍の進軍は大幅な足止めをくらうのであった。
翌年、ドイツ軍は再びソ連への侵攻を開始するがその戦力は限られたため、その目的をソ連が持つカフカスの油田を始めとして資源地帯とし、
ソ連への資源面の打撃を与えつつ、自らが資源を得るものとした。しかし、ソ連軍は前年のドイツ軍の進軍から学習しており、思うような成果を得ることができず、
さらに占領した地域での補給をあてにしたドイツ軍に対し、ソ連軍はその施設の破壊を徹底的に行なっていた。それでも戦力に勝るドイツ軍は
徐々にではあったが進軍を重ね、予定より遅れたものの、当初の防御拠点と示していたスターリングラードへと到達する。
そして1942年8月、多くの市民を巻き込んだ市街戦が開始された。 戦闘は3ヶ月以上も続き、再び補給不足に陥ったドイツ軍に対してまたもや冬将軍の驚異が訪れたうえ、 ヒトラーの死守命令により後退することもできず、10万人を超す捕虜を出すことになってしまう。 勝利したソ連は全戦線への攻勢の命令を下すと、弱体化したドイツ軍の連絡を遮断し、 ハリコフをはじめとしたドイツに占領された地域を次々と奪還していった。
一方のドイツ軍も、軍集団を改組しソ連軍の攻勢に対し反撃を行い、 勢いに任せたソ連軍が補給不足に陥ったところを押し戻し、再びハリコフを占領。 危機を脱した結果、ドイツ・ソ連の戦線はクルスク周辺を中心にしたソ連軍の突出部ができあがる形となってしまった。
こうして、戦力回復の間にドイツ軍はクルスクの突出部に対して、攻勢に出るか守勢に出るかの話し合いが行われ、 最終的にヒトラーらナチストップの意見から突出部への先制攻撃が決定された。 ツィタデレ作戦と名付けられた作戦は、当初1943年5月の発動を予定されていたが、 完成した新型戦車ティーガーの増産のため7月へと延期された。 しかし、2ヶ月もの延期はソ連に強固な防御線を準備させるに十分な時間であり、 作戦の成功を困難にさせるものであった。
1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦は、ドイツ軍、連合軍に多数の死傷者を出しながらも 連合軍は上陸を果たし、橋頭堡を築き上げた。 ドイツ軍も上陸を許す中、地上戦では北アフリカ戦線で活躍した戦車ティーガーによる攻撃を始めとした徹底抗戦を行うものの、その物量の前に押し切られる形で進軍され、 8月には連合軍の動きに呼応するかのようにパリ市民による抵抗を受け、パリを解放させられてしまう。
さらに9月には連合軍はベルギー北部を奪還すると戦争早期終結を目的とした、 オランダからドイツへと侵攻する上で重要な多くの橋を奪還するため、 空挺部隊を用いた『マーケット作戦』『ガーデン作戦』を展開。 しかし、ようやく劣勢を立て直し始めたドイツ軍は降下部隊を熟知した動きにより2つの作戦を潰すことに成功した。
一方東部戦線でも大きな動きがあり、ノルマンディー上陸作戦によって
ドイツは二面作戦を強いられることになり、
その戦力のほとんどを上陸作戦が行われた西部戦線へと割かなければならなかった。
そのため、東部戦線のドイツ軍戦力は戦力は大きく低下し、ソ連による一大反撃作戦『バクラチオン作戦』が展開された。
ソ連の攻撃に対し、低下したドイツ軍では太刀打ちできず、リトアニアの首都ヴィリニュス、ベラルーシの首都ミンスクを奪われてしまう。 なおもソ連軍の進軍は続き、ドイツは次々と東ヨーロッパの地を追われ、もはや開戦当初の勢いの無くなったドイツであったが、 ヒトラーはソ連軍の停滞に乗じ、ベルギー・フランス国境付近にいる連合軍を包囲殲滅させる、 4年前のフランスへの電撃戦の再現を狙った一大反攻作戦を計画する。
新型のティーガーⅡ戦車に兵器生産のストックの大部分を投入し、備蓄された予備燃料をも使い、 まさにドイツ全土をあげて命運を賭した作戦はドイツ人を称える民謡から『ラインの守り』と名付けられた。ベルギーのアルデンヌ森を通り、アントウェルペン、ブリュッセルの占領を目標とするこの作戦は、 迅速な進軍により敵に完全な奇襲を行うことと、奪われた制空権を封じるために悪天候であることが条件とされた。
悪天候に関しては冬の時期に決行することで解決し、残るはドイツ軍の果断なる判断で素早い進軍を行うかに掛かっていた。 こうして、予想通りの悪天候により連合軍の航空部隊は無効化され、ドイツ軍乾坤一擲の進撃が開始された。
ドイツ、イタリアなどの枢軸国とイギリス、ソ連、アメリカなどの連合国を中心とする23ヶ国がヨーロッパの覇権をめぐり、220以上にも及ぶ根拠地を奪い合います。
登場兵器には『ティーガー』などの有名兵器から、史実では間に合わなかったドイツのジェット戦闘機『Ta-183』やアメリカの戦略爆撃機『B-36』など戦後活躍した名機も含まれています。 また、登場する兵器は全て美麗な3Dで再現しました。
ゲームの操作性もより扱いやすくなりました。
今作では部隊や根拠地を選択することでコマンドが表示され、実行したい命令を与えることができます。 また、輸送や生産、開発は画面右下のコマンドから直接実行可能。メニューを何度も開く必要がありません。
目的に合わせてコマンドを選びやすくなっており、操作に迷うことなくスムーズにゲームをプレイすることができます。