1941年12月8日。真珠湾を6隻の空母部隊で奇襲し、
戦艦4隻、空母1隻を撃沈することに成功した日本海軍は
空母機動部隊こそが艦隊戦における新しい主力であると
いち早く認識した。その後もインド洋作戦、珊瑚海海戦、
ミッドウェー海戦などの主要な海戦において、空母部隊の
集中運用を行なうことにより順調に勝利を納め、ついには
オーストラリアにまでその勢力圏を伸ばすことになる。

 一方アメリカ軍も1943年から次々に就役を始めた
エセックス級空母群を用いて攻勢防御に転じると、
ミッドウェー島の奪回を目指して同海域に進出してきた。
この第2次ミッドウェー海戦により、補給線の延び切っていた
日本軍はミッドウェー島よりの撤退を余儀なくされるが、
基地航空隊の活躍によりエセックス級空母2隻を撃沈した。
そのためアメリカ軍の反攻速度は再び停滞したのであった。