日本の暴挙ともいえる行為の中、中国の訴えで国際連盟は、
リットン調査団を派遣して調査させると鉄道爆破は
関東軍の仕業であると判明。
報告を受けて国際連盟は、
日本軍の満州からの即時撤退を通告した。

しかし満州事変以降、
軍令部からの圧力をはね除けられなくなった日本政府に、
満州からの即時撤退に応じられるはずもなく、
1933年、国際連盟を脱退すると
対中国戦に邁進していった。