1504年に京都の相国寺慈照寺に入り吉侍者と呼ばれたが、その後、兄氏綱に代わって還俗して六角氏家督を継ぐ。10代将軍足利義稙の側近として活躍し、のちに細川高国とともに足利義晴を助けた功により、1546年に管領に準ずる待遇を受ける。また、1523年に「城割り」を行い、「一国一城令」の先駆をなした。