能登国守護で、七尾城の城主。重臣七人衆による領国支配体制に反発、領国の主導権争いに奔走するが、1566年、子の義慶を擁する重臣長続連らに追われて、近江国に逃れる。1568年に能登入国作戦を企て、七尾城に迫ったこともあったが、結局は失敗。その後も入国作戦を行ったが、権力奪回はついに果たせなかった。