越後国中頸城郡の柿崎城および猿毛城の城主。初め長尾為景に仕え、次いで謙信の側近となり、精力絶倫、敏活な行動で知られた。1561年春の小田原城攻撃、秋の川中島合戦にも出陣し、軍功を挙げる。1573年、先手300騎の大将として越中攻めに出陣したが、翌年に死去。信長に内応して殺されたともいう。