烏丸光広

由緒ある公卿の流れを汲む人物。一人称は『麿』で『おじゃる』口調。公卿らしい落ち着いた空気をまといつつも、性格的には型に囚われず飄々としており、唯我独尊的に行動する。その立ち振る舞いは雅にして優雅、知識人として公卿の中でも名を知られるが、剣の腕も立つ多彩なお公家さま。万能で隙の無い才人のようだが、掃除や入浴を嫌い、その私室は魔窟と化している。

デザイナー:moco
CV:桜川未央
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史実紹介

烏丸光広は、江戸時代前期の公卿・歌人・能書家。氏姓は藤原朝臣。公家(名家)の一つ烏丸家の当主。准大臣・烏丸光宣の長男。官位は正二位行権大納言。
寛永の三筆とほぼ同時期に活躍した書人で、その書は寛永の三筆とならび称される。光広の書は非常に個性が強く、形の上から極めて捉えにくいところがあり、手本となりにくいものであるため、寛永の三筆の書のように人々に流行することがなかった。光広は多才多芸で非常に器用なため、あるときは定家流、あるときは光悦流で書くことがあったが、決してそれにのめり込んでしまうことなく、根本には光広の書がしっかりと根を下ろしていた。その書風は、持明院流 - 定家流 - 光悦流 - 光広流と変遷したと考えられる。