竹中半兵衛

美濃の斎藤家に仕えていたが、当主に愛想を尽かして隠棲し、美濃の地で病を癒しながらゆるゆると日を送っている。 病弱ではあるが武人としての気持ちも強く、戦場で果てたいという想いもある軍師。 おっとりしているが好奇心旺盛で誘惑に逆らえないところが有り、友人の官兵衛と共に時に暴走したりもする。

デザイナー:雪月竹馬
CV:藤森ゆき奈
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史実紹介

本名は竹中重治(たけなかしげはる)、通称の半兵衛が有名。戦国時代を代表する軍師で、豊臣秀吉からは、黒田孝高(黒田官兵衛)と共に「二兵衛」と称された。
 『太閤記』や『常山紀談』によると、「その容貌、婦人の如し」と記録にはあり、体が弱く見た目は痩身で女性のようであったと言われている。
 天正7年(1579年)4月に、播磨三木城の包囲中に病で倒れた。死期を悟った重治は、武士ならば戦場で死にたいと秀吉に懇願して向城の平山に至り、陣中にて6月13日に死去した。享年36。死因は肺炎か肺結核とされている。