太田道灌

幼少の頃から英才ぶりを発揮し、長じて軍配者となり山内上杉家を支えている人物。気は優しくて力持ちといった熊のような外見だが、実は知性派。軍才のみではなく、歌の才にも非常に優れており、どんなときでも花鳥風月を愛でるおおらかな人物。

デザイナー:黒田んぼ
CV:胸肩腎
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史実紹介

扇谷上杉家の家宰。江戸城を築城したことで有名な武将。
 9才で鎌倉建長寺に預けられて勉学に勤しんだ秀才で、その才をひけらかすような言動を度々父に戒められたが、その都度しっかり言い負かして父を怒らせたりしている。
 道灌の活躍で主家の扇谷上杉家は勢力を大きく伸ばしたが、その才覚ゆえか暗殺されるという非業の最期を遂げた。道灌の死後、扇谷上杉は衰退するが、道灌はその可能性を予見していたと言われている。
 江戸城は康正2年(1456年)に着工、翌年4月にはほぼ完成。高い崖の上に三重の堀を巡らし、内部を三っつに区切って建築されたものだった。道灌の死後、この江戸城は朽ち果ててしまったが、家康はこれを修築して本拠とした。
 太田道灌には逸話が多く、それらには武人としてのみではなく、歌に絡んだものが多く伝えられている。