歪んだ数奇者「古田織部」

武芸に秀でた武将ではないが、千利休に師事を受けた茶の湯の数奇者。

性格の悪さが顔ににじみでているが嫌味ではなく、どこにでもいるようでどこにもいないといった不思議な印象の人物。他の人とは感性がずれており、人も茶器も傷ついたり欠けて歪んでいるものこそ美しいと思っている。

CV:山本兼平 デザイナー:京作

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史実紹介

 本名、古田重然(ふるたしげなり、しげてる)。「織部」という名は、従五位下織部正(織部助)の官位を叙任したことに由来している。
 千利休の「人と違うことをせよ」という教えから、利休の静謐さと対照的な動的で破調の美を確立させて茶器製作・建築・造園などにわたって「織部好み」と呼ばれる一大流行をもたらした。
 羽柴秀吉の播磨攻めや、明智光秀の丹波攻め、武田征伐に従軍し、禄高は300貫と少ないが武将としても活動している。
 慶長19年(1614年)大坂冬の陣の頃から豊臣氏と内通し、徳川方の軍議の秘密を大阪城内へ矢文で知らせたなどの嫌疑をかけられて、大坂落城後の6月11日(7月6日)に切腹を命じられた。重然はこれに対し、一言も釈明せずに自害したといわれる。享年72。