剣聖「上泉信綱」

面倒見がとてもよく弟子達にも慕われており、困っている人はほっておけないなど情に厚い部分もある。

身につけている布の面積が極端に少なく、目のやり場に困る格好をしているが、本人はまったく気にしてない。

剣の修行の旅に出て腕を磨き、「剣聖」と呼ばれている。その腕前は将軍・足利義輝に認められる程の圧倒的な強さ。

CV:倉田まりや デザイナー:しき

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史実紹介

 新陰流の開祖。
 上野国の国人で上杉憲政に従い、没落後は、長野業正に属した。押し寄せる北条軍を、箕輪城の支城である安中城で迎撃した時、槍を振るって活躍し「上野国一本槍」と謳われた。
 長野家滅亡後は武田信玄に従った。幼少の頃から兵法や兵術に励み、陰流の創始者である愛州移香斎から刀槍術を伝授された。
 そこに独自の工夫を盛り込んで新陰流を創り上げた信綱は、老境に差し掛かりながらも、武者修行のため、武田家を去る。
 旅の途中、伊勢では北畠具教に、大和では柳生宗厳(後の石舟斎)らに刀槍術を伝授したとされ、後に柳生宗厳は柳生新陰流を拓く。
 その後、信綱は第十三代将軍足利義輝の招きに応じて上洛し、兵法の講義と新陰流の型を披露した。義輝は上泉の兵法は古今比類無し、天下一と言うべし、と絶賛したという。