J国CT国蜜月の終焉

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 YE諸島の北部に位置する、UO島を始めとする5つの島と3つの岩礁から成るわずか6.3平方キロの島嶼が、SK諸島だ。

 この諸島は、1896年4月にJ国が領有を宣言するまでは、どこの国も領有を主張しておらず、明らかにJ国固有の領土といえた。

 ところが戦後、OK返還を間近にひかえた1968年に、周辺の海底資源調査が行なわれたことで状況が変わり始めた。

 その近海に海底資源が埋蔵されている可能性が分かると、翌1969年にはCT国が、さらに1971年にはC国が、領有を主張し始めたのだ。

 このことを根拠に、C国が一方的に周辺海域のガス田開発を強行したのは知っての通りだが、J国と親密なCT国でも、民族派過激活動家が、SK諸島に向けて海上抗議行動を行なったり強行上陸するなど、きな臭い動きは常にくすぶり続けていた。

 そして2008年6月10日、そうしたCT国の右翼たちが、UO島への上陸目的で乗り込んでいた遊魚船と、この手の挑発行動を阻止しようとする海上保安局の巡視船が、異常接近して衝突。最終的に遊漁船が沈没するという事故が起きてしまった。

 乗員は全員救助されたが、J国の強硬な対応に対してCT国与党・KM党が猛反発し、以来、SK諸島問題が、J国CT国関係に暗い影を落とし始めたのである。

 こうした民族主義的な動きの背後には、C国KS党の情報部が関与しているという見方もあった。このように緊張が増しつつあった200X年X月、再びCT国の右翼活動家が、海上保安局の警戒網をくぐり抜け、SK諸島に強行上陸するという事件が起きてしまう。

 この上陸勢力が武装していたこともあり、J国政府はこれを単なる民族派の抗議活動ではなく、実効支配への布石と判断。前例のないことだったが、海保の特殊部隊を送り込み、武力による強制排除に着手したのである。対するCT国側も、沸騰する国内世論に後押しされる形でUO島周辺に巡視船を派遣。

 さらにそれに対抗して今度は、J国側がJ国防衛隊による海上警備行動を発令するという具合に、両国の対立はエスカレートする一方だった。そしてついに両者がお互いの艦艇に発砲し合い、CT国とJ国が戦後初めて武力衝突する事態に陥ったのである。

 この事件から2週間後、先手を打つ形で、より本格的な軍事行動に出たのは、CT国側だった。SK諸島を実効支配しようと目論むCT国は、その橋頭堡とすべく、比較的警備の薄かったYE諸島のNO島・IG島に、突然部隊を上陸させたのである。

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